「段駄羅」という言葉遊び
押韻(韻を踏むこと)だけでなくダジャレや回文などの言葉遊びについても本の中で紹介したけど、最近、「段駄羅」という言葉遊びをzyooから教えてもらってこれが非常に興味深いので、紹介したい。
ちなみにzyooは、僕が所属するDA.歌詞屋というラップユニットのメンバーだ。
段駄羅とは
Wikipediaによると、
段駄羅 (だんだら)は石川県能登半島の輪島で、漆塗り職人の仕事場を中心に、かつて大流行した五七五の短詩型文芸で、言葉の二重構造を楽しむ言葉遊びのこと。形の上では俳句や川柳と同じく五七五であるが、中の七音が二つの異なる意味を持って、上の五音と下の五音につながる構造をしている。
ということなんだけど、百聞は一見にしかず。
たとえば、
また潜る あまいきすって 恋の味
という五七五において、真ん中の「あまいきすって」の部分は「海女、息吸って」と「甘いキスって」のダブルミーニングになっている。
そして、「また潜る」という上の句が「海女、息吸って」につながっていて、「甘いキスって」が下の句である「恋の味」につながっている。
もうひとつ、
さあ戦 かぶとおかぶり 高騰し
では、今度は「かぶとおかぶり」が「兜をかぶり」と「株十日ぶり」のダブルミーニングだ。
「さあ戦」が「兜をかぶり」につながって、「株十日ぶり」が「高騰し」につながる。
個人的には五七五って、音の数を合わせるだけじゃ拘束条件が少なすぎて何とでもなるあたりが好きじゃなくて、昔から宿題とかで作っていてもあんまり楽しくなかった(こういうことを言うと風情がないと言われるけど)。でも、これぐらいの拘束条件があると、かなり考えるのが楽しくなる。
と思って実際考えようとしてみると、意外と難しくて焦る。こんなことを仕事しながらやっていた漆塗り職人、まじリスペクト。
段駄羅ラップ
そして、この段駄羅という言葉遊びを僕に教えてくれたzyooは、なんとこれをラップにしてしまった。真ん中の七文字のダブルミーニングにとどまらず、上の句と下の句で韻を踏むということに挑戦している(にとどまらず、無駄な小ネタを盛り込んだ10分もあるクソ長い解説ビデオまで作ってしまった)。
いやー、やっぱり、日本語の言葉遊びはとても面白い。今後も言葉遊び職人、zyooの活躍に期待。
ちなみにそんなzyooと、この僕が一緒にラップをやっているユニット、DA.歌詞屋の最新曲はこちらです。こちらも是非。
まとめ
他にもあまり知られていない面白い言葉遊びがあったら、Twitterとかで教えてください。
noteではラーメンチャレンジやってます。
ミスチルが踏む韻の進化
先週の金曜日、ニッポン放送SuonoDolce「カフェデジュネ」に出演させてもらって、韻の解説をさせてもらった。
その中でも触れた、ミスチルの韻について、ここで詳しく解説したい。
ミスチルはいろんなタイプの韻を踏む
昔からミスチルは韻を多用してたけど、その踏み方は今と比べると、もう少しあからさまで踏み方が荒く、「韻のためなら何でもする、悪い奴ら」というイメージだった。
たとえば「名もなき詩」の
Oh darlin'
僕はノータリン
なんかは、「Oh darlin'」と韻を踏むために「ノータリン」と言ったはいいけど、これが放送禁止用語ではないが不適切な用語ということでNHKでは歌詞が差し替えられて放送されたらしい。ラッパーによくある、韻に引っ張られて言いたいことが言えないパターン。英語で言うとポイズン。
その後、「シーソーゲーム」では
シーソーゲーム
She so cute
という頭韻のために、be動詞をすっ飛ばして英文法を無視したこともあれば、「ニシエヒガシエ」では
ニシエヒガシエ
必死で猛ダッシュです
と、これは母音が「いいえいあいえ」「いいえおあうえう」で微妙に違うから、この違いをカバーするために「もうダッシュです」の部分を「みぃだしでぇえs」みたいに歌い、かつ最後の「す」に音を乗せないことにより、「必死で猛ダッシュです」の母音も「いいえいあいえ」のように無理やり聞こえさせるなんていう、荒技もあった。
これが意外といけると思ったのか、その直後のシングル「終わりなき旅」で
終わりなき旅
を「わぁぁ(り)なぁぁ(き)たぁぁぁぁぁ(び)」って、最後の「び」に一音乗せないという荒技をもう一度繰り出し、この曲をカラオケでかっこよく歌いたい高校生男子を、「び」をどのタイミングで言うか問題で悩ませたこともあった。
ちなみにこの韻は、
わーり
なーき
たーび
の母音が全部「あーい」になっているという仕組みだ。
さらにこれに味を占めたことにより、「フェイク」のサビでは
二階建ての
明日へと Take off
で、「階建ての」と「明日へと」の母音を「あいあえお」で揃えてキレイに踏んだあと、二番では
地下二階の
過去から Take off
と、「(ち)かー(に)かー(いの)かー(こ)かー(ら)」と、音が乗ってない文字(括弧に入れた文字)を無視するとすべて「か」になるようにするという、「終わりなき旅」の強化版を披露したりした。
どんどん進化していくミスチルの韻。ちょっとdisっているように聞こえたかもしれないけど、むしろ逆で、僕はこういう韻を踏むための荒技が大好きだ。というか、そもそもラップ以外の音楽で日本で韻を踏むアーティストはとても少ない中、韻を頻繁に踏んでくるミスチルは最高だ。
韻を極めた最近のミスチル
そんなミスチルだが、最近では韻を曲の中にナチュラルに入れすぎて、誰にも気づかれないことが多い。
個人的に一番お気に入りの「GIFT」という曲で解説する。
Mr.Children「GIFT」Music Video(Short ver.)
うーん、感動して、韻どころではない。涙で韻がよく見えない。
この曲の中で一番わかりやすい韻は、
僕は探してた 最高のGIFTを
の部分。次に同じメロディーで
僕の両手がそれを渡すとき ふと謎が解けるといいな...
というのがあって、「GIFT」と「きふと」が同じ母音「いうお」で韻を踏んでいる。
さらにこのあと、二番の同じ部分の歌詞は
「もうやめにしようか?」自分の胸に聞くと
なので、ここも「聞くと」の母音がさっきと同じ「いうお」になっている。この三つを並べると、
ぎふと
きふと
きくと
なので、いつも言っている「韻の踏み始めと踏み終わりは、母音だけじゃなくて子音も合わせる」テクニックも自然に使われている。この場合、最初の文字がすべて「き」(または「ぎ」)で、最後の文字がすべて「と」。
実は、この話をいろんな人にすると、意外とこの韻にも気付いていない人が多いことに驚く。理由は簡単で、ミスチルは言ってることがいちいち感動的すぎるから。メッセージ性のほうに耳がいってしまって、音として言葉が入ってこない。
でも、たとえ韻に気付いていなくても、心のどこかで気持ちよかったり、ふと口ずさむときに思い出しやすい、なんてことがある。これが韻のサブリミナル効果。気を抜くと韻に洗脳されてしまうから、みんな気をつけたほうがいい。
そして...これがミスチルの韻の完成形
上の例はGIFTの韻の基本。この韻を踏まえた上で、もう少し深いところにいく。
サビに入る直前の部分、
長い間君に渡したくて
強く握りしめていたから
もうぐちゃぐちゃになって
色は変わり果て
まず「長い間」の部分。音が乗っていない(韻的には無視できる)部分に括弧を付けると、「なが(い)あ(い)だ」となり、すべて「あ」の音になっている。「↓な ↑が ↑あ ↓だ」のように、真ん中の二文字の音程が高くなっていて、その真ん中の「があ」とその後の「から」が両方母音が「ああ」で対応しているようにも聞こえる。
その後、 「た(く)て」「な(っ)て」「はて」の母音がすべて「あえ」になっている。再び、括弧内の文字は、その部分には音が乗っていないので韻的には無視することにする。
さてこの部分、二番では歌詞がどうなっているかというと、
知らぬ間に増えていった荷物も
まだなんとか背負っていけるから
君の分まで持つよ
だからそばにいてよ
今度は、「しら(ぬ)まに」の部分が「↓し ↑ら ↑ま ↓に」と、低い音は「い」で統一され、高い音は「あ」で統一されている。それでもやはり真ん中の音程が高くなっている部分が「らま」で、その後の「から」と踏んでいて、一番のこの部分と同じパターンが見られる。
そして、一番と同様に「荷物も」と「持つよ」が、「(に)もつも」「もつよ」で韻を踏んでいる。ということは、一番と同じ構造であれば、ここでもう一発、最後に母音が「おうお」になるものがくるはず。
しかも二番のサビに入る直前で最大の盛り上がりを見せる場所だから、相当にレベルの高い韻がドーンと放たれるに違いない!
国民的バンドであるミスチルの渾身の韻を全身で受け止めようと、全国民が母音「おうお」に期待した、その瞬間。
だからそばにいてよ
...あれ?
全然「おうお」じゃない。なんだこれ。「いえお」じゃないか。
これだけ期待させておいて、最後の最後の大事なところで、踏み外す。こんな度胸があるのは、今の日本では桜井さんしかいないだろう。
ずっと踏んできたのに、いきなり韻とか無視で真面目なことを言う。これは、まさに、普段おちゃらけたキャラのクラスの男子が、二人きりになった瞬間に、真顔で話しかけるような感じ。「だからそばにいてよ」という告白に近いセリフが、韻を踏まないことによって、ぐっとシリアスに聞こえる。
桜井さんは、こんなことを、全部わかっていてやっているに違いない。ズルい。ズルすぎる。韻を踏むことを期待させておいて踏まないことが逆にかっこいいなんて、桜井さんレベルのカリスマ性がないと無理だ。
まとめ
僕みたいにカリスマ性のない一般人は、これからも頑張って韻を踏むことにする。
この本の中では「しるし」の韻について解説しました。
Twitterやってます。
韻の検索サイト【韻ノート】
フリースタイルダンジョンの韻を解説する(初心者向け)
「フリースタイルダンジョン」の人気が、すごい。
かつてのボキャブラ天国のように、ここから売れたラッパーがバラエティ番組で司会をする時代が来ないものか。ラッパーって「MC」なんだから、本来そうあるべきだよね。
フリースタイルダンジョンとは
Zeebraがオーガナイザーとなって(ry
ってつい言いたくなるけど、簡単にいうと、テレ朝で火曜の深夜1:26から放送されている即興ラップバトルの番組。毎週の放送は、公式アカウントから毎週YouTubeにアップロードされるので、眠い人はこちらでチェックしてほしい。
ラップに興味のない友達が、よく「先週のフリースタイルダンジョン見たよ!」って報告してきてくれる。嬉しそうに報告してきてくれてこっちも嬉しいんだけど、「○○見たよ!」って普通、出てる人に言うセリフだよね。出てないから!
たぶん、ラップに興味がない人にしてみたら、「ラップを見た」という行為自体がもう、ラップをしている人に報告したくなるほどの経験なんだろう。それぐらい、ラップに興味がない人とラップをやっている人の間には、壁があったということならば、こういう番組をいろんな人に注目してもらえるのは、とても嬉しい。出てないけど。
韻がわかればもっと楽しい
せっかくこんなにみんなに見てもらえる番組ができたんだから、この中で踏まれている韻を解説したい。あくまでも初心者向けに「韻」だけを解説するので、すでにラップに詳しい人は、
- いやそんなこと知ってるわ何を今さら
- いやフリースタイルって韻だけがすべてじゃないしフロウとかバイブスとかサンプリングとか(ry
みたいな批判は無しでお願いします。
せっかくなので、最新の動画で解説したい。先週の放送分。長いので、時間ない人は18:00〜あたりから見てもらえると嬉しい。
18:09あたりからの、ACEのターン。
え?3000万人はファンがいますマニア?
何それ?どこ?
パプアニューギニア?タンザニア?
まず、その直前にDOTAMAが「ラッパーだったら3000万人はファンがいますマニア」と言ったのをそのまま受けて「ますマニア?」と「タンザニア?」で踏む。ここから、
タンザニア?
分からねぇなお前が犯罪者
いや違ぇなサンバイザーでも
付けてればいいけど
今日はACEくんに負けてうぇ〜完敗だ
南無阿弥陀(なんまいだ)
分かるか?俺の3枚刃
違ぇなこれがサンバイザー
お前スキル足んないな
と続ける。韻を踏むとは、母音を合わせること。 赤で書いた部分はすべて母音が「あんあいあ」になっていることに注目してほしい。これが「韻を踏む」ということ。
ちなみに、最初に「いますマニア」と言ったのはACEではなくDOTAMAのほう。それを起点に「それどこ?タンザニア?」と受けて、その「タンザニア」からこれだけの韻を繰り出す。すごすぎる。
さて、それを受けてのDOTAMA、この韻が使いまわしということを指摘して攻撃したあと、最後(動画の18:35あたりから)こんな風に言い放って自分のターンを終える。
知るかよお前の通訳としての能力なんて
こいつのラップ タカタカタカタカ情緒不安定
俺のほうがブチ上げてくDOTAMA
まるで反町隆史 やばし
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
つまり俺のラップ 猛毒なんです
さて、いきなりですが、ここで問題です。
DOTAMAはなぜ最後、「言いたいことも言えないこんな世の中」と言ったあとに「ポイズンなんです」と言わず、「猛毒なんです」と言ったのでしょう?
正解は、
能力なんて
情緒不安定
猛毒なんで
で韻を踏むため。この三つはすべて母音が「おうおうあんえ」になっている。
DOTAMAがすごいのは、「能力なんて」「情緒不安定」まではいいとして、そこからいきなり「猛毒なんです」に持っていくのは繋がりが悪いと感じたのか、その間にワンクッション入れること。そしてもちろんこのワンクッションの間にも韻を仕込む。
まず相手のラップの仕方をdisる「タカタカタカタカ」という擬音から「隆史(たかし)」を連想させ、さらにその「隆史」と「やばし」で踏んだあと、自分の名前である「DOTAMA」とポイズンの「世の中」でもさりげなく踏む。 その結果、
知るかよお前の通訳としての能力なんて
こいつのラップ タカタカタカタカ情緒不安定
俺のほうがブチ上げてくDOTAMA まるで
反町隆史 やばし
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
つまり俺のラップ 猛毒なんです
という、韻が複雑に絡み合ったバースが完成する。
聞いている側の気持ちとしてはこんな感じ。最初、「能力なんて」「情緒不安定」ときて、「もういっちょ「おうおうあんえ」がくるかな?」と期待してしまう。そこで、次の小節で話が反町隆史の話が始まり、少し裏切られた気分になる。
そのまま「隆史」「やばし」の3文字踏みで韻としてのクオリティが下がってドキドキする。このまま負けてしまうのか?という不安がよぎる。すると、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ!」と強めの口調で「DOTAMA まるで」と踏んできて、「おっ!まだいけるか?」と再び期待してしまうと同時に「でもあと一小節しか残ってないぞ」と心配する。
しかしその心配をぶっとばす、最後の小節で「猛毒なんです」が炸裂。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ俺のラップこそが猛毒なんだ、という結論を出すとともに、最初に貼った「おうおうあんえ」の韻の伏線を回収する!
結果、この勝負、DOTAMAの勝利。
これを、全部即興でやっている。こんなことを一瞬のうちにして頭の中で考えるのが、フリースタイルの醍醐味。
まとめ
HIPHOPの文化もいいけど、こういった知的な側面も、 いろんな人に伝わるといいなぁ。(テレ朝さん、せっかくいろんな人に見てもらってるんだから、韻を踏んでる箇所だけテロップで色を変えたりしてわかりやすくできないですかね?)
note毎日更新してます。
Twitterやってます。
豆まきが終わった後の部屋とかけまして
今日は節分でした。イエーイ!鬼は外!サンド!パラセクト!
豆を三塁に偽投してから一塁に投げたら、ボークを取られました。
それはいいとして、突然ですが、ととのいました。
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「豆まきが終わった後の部屋」とかけまして、
「スキルの高いラッパー」ととく。
そのこころは、
どちらも「ビーン(美韻)を踏む」でしょう。
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今日はこれがどうしても言いたかった。この流れで、次回は「韻となぞかけ」について書きます。
note始めました。(毎日更新)
Twitterやってます。
濃度98%の韻
週末、台湾に来ています。
コンビニで買ったウーロン茶。韻が濃いらしい。
「濃い韻」って何だろう
きっと中国語で「韻」には何か意味があるんだろうけど、調べてしまったら面白くないからやめておこう。きっとこれを飲むといつも踏む韻が、濃くなると信じて飲む。
ところで、日本語ラップでは、韻のレベルが高いことを表すときには、「固い」という形容詞を使うのが一般的だ。「韻が固い」とか「カッチカチ(またはガッチガチ)の韻」とか、よく言う(逆に韻のレベルが低いことは「韻が柔らかい」ではなく「韻が甘い」ということが多い)。
じゃあ固い韻ってどういう韻かというと、一致している母音の数が多かったり、同じ母音で踏み通している回数が多かったり、僕は合計で五つの要素を「韻が固い」の定義にしているんだけど、詳しい解説は本に譲るとして...
「固い韻」ならぬ「濃い韻」とは
このウーロン茶を飲みながら、「濃い韻」という言葉を定義したくなった。
韻が「濃い」という感じを頭の中で想像してみたら、「固い韻」の五つの定義には入らない、次の要素が浮かんだ。
「韻に関与しない文字数が少ない」
どうこれ?「濃い」という言葉は通常、全体の割合に対してその要素が占める割合が高い様子を表す。韻に濃度というものがあるとすれば、それは、韻に関与している文字数だろう。
たとえば、
台湾で見つけて飲んだ
韻が濃くなるウーロン茶
なら、「飲んだ」と「ロン茶」が「おんあ」で母音が同じ。
それ以外の部分は「韻に関与しない部分」だから色は黒のまま。この場合、「韻に関与している部分(赤の部分)」は全体の20%ぐらい。だから濃度20%の韻。
韻の濃度を上げたければ、
台湾着いたらすぐ飲んだ
韻が濃くなるウーロン茶
のようにすれば、「すぐ飲んだ」と「ウーロン茶」が「ううおんあ」で同じになるから、韻濃度が45%ぐらいに上がる。
韻濃度90%超え
手前味噌で恐縮だけど、ここで言う「韻濃度」を極めようと頑張ったことがあったのを思い出したから、紹介させてほしい。4年ぐらい前に作った、ラジオ体操の音楽に合わせてラップする「ラップ体操」という曲。
この曲の3:30あたりからが僕の担当部分なんだけど、そこを聴いてほしい。
三番手俺
看板背負って
頑張ってOK?
OKなら
のっけから
乗ってかな損
でもOKじゃないなら
早計だな
まじもう最高
ラジオ体操の
歌詞の内容が
価値のないように
いつもどおり、同じ母音の部分には同じ色をつけた。赤い部分はすべて母音が「あんあえおえ」、青い部分はすべて「おえああ」、緑色の部分はすべて「あいおあいお」になっている(いつもどおり、「ん」「っ」「ー」はカウントしてもしなくてもいいというのが韻のルール)。
ここで注目してもらいたいのは、色が付いていない(黒の)部分の少なさ。つまり、韻に関与していない文字が、極端に少ない。韻濃度90%超えに成功。
このあと、
健康的の 結構適当
テンションでキモくても
そりゃこなれた伝統芸能
手元にゃ壊れかけのレディオ
と続いていくんだけど、今度は赤の部分の母音がすべて「えおえいお」になっている。 え?今度は韻濃度が低いって?よく見てくれ!
てもそりゃこなれた伝統芸能
手元にゃ壊れかけのRadio
実は、ここの後半の部分、全部母音が一緒。「えおおあおあえあえおえいお」が完全に一致。
一応テーマが「ラジオ体操」なので、「壊れかけのRadio」という徳永英明の名曲のタイトルを韻用に引用して、ラジオ体操を「伝統芸能」に見立てて踏む。だから意味もなく無理やり母音を合わせてるわけじゃない。
その結果、
健康的の 結構適当
テンションでキモくても
そりゃこなれた伝統芸能
手元にゃ壊れかけのレディオ
こんな感じで色付けすると、もう色付けされない文字は「く」の一文字だけになってしまう。韻濃度98%ぐらいかな。濃すぎ。
書くか迷ったけど一応書くと、ケインコスギ。
まとめ
自分で踏んだ韻を自分でさんざん自慢したあとに、ケインコスギとかいうただのダジャレを言うのは本当にやめたほうがいい。でもそのあとに続けて武蔵小杉って書きたい気持ちを抑えられたことは評価してほしい(いま書いたけど)。
ちなみにウーロン茶の味は普通でした。
Twitterやってます。
「韻問題」そして韻とダジャレの違い
先週放送された「ナカイの窓」のラッパースペシャル。その中でR-指定が言及していた「韻問題」について、深く考えてみる。
韻問題って何?
「ラップでは韻を踏むべきか、それとも踏まなくてもいいか」という、長年にわたり議論されてきたが未だに結論の出ていない問題。
m.c.A•Tは、同番組内で「自分たちの時代は韻が浸透しておらず、韻を踏むとダジャレと思われるため意識的に踏まないようにしていた」との旨の発言もしていた。
韻とダジャレの違いって何?
これは何度も説明してきたけど、「アルミ缶の上にあるミカン」がダジャレである理由は、 「あるミカン」の部分が、母音だけでなく子音まで同じになっているってこと。
一方で韻は、母音を合わせるだけでいいから、「アルミ缶」と韻を踏みたいのなら「待つ時間」「熱いパン」「ガスピタン」とかでいい。
あるみかん
まつじかん
あついぱん
がすぴたん
こんな感じで、全部母音が「あういあん」っていう具合。
たとえば番組内では、「近藤春菜」と韻を踏めと言われてR-指定が「温厚な豚」とdisるシーンがあったけど、
こんどうはるな
おんこうなぶた
で、両方とも母音が「おんおうあうあ」になっている。こんな感じで少なくとも母音が合っていれば、韻。
一方で、中居くんが番組内で披露していた即興ラップ「春菜、食べるな、頑張るな」は、頑張って「るな」を子音ごと合わせようとしてしまうがあまり、2文字以上踏むことができなくなってしまった(けど、もちろん初心者で即興であれだけラップができた中居くんは、普通にすごいと思った)。
大事なのは、韻を踏むときは子音のことは忘れていいということだ。たとえばラップに興味がない人に「遠足」で韻を踏んでみてってお願いすると、だいたい「豚足」とか「反則」とかが返ってくる。「そく」を子音ごと合わす必要はないのに。それより「煙突」とか「メントス」とか、母音が4文字とも「えんおう」で合ってることを重視すべき。
韻で重要なこと
子音は合わす必要がないんだから韻のほうが条件は緩いわけで、条件が緩い分「数をこなす」ことと「メッセージ性をちゃんと持たせる」ことが重要になってくる。
ここで言う「数をこなす」というのは、「るな」「ぶた」の2文字だけで踏むのではなく、「こんどうはるな」「おんこうなぶた」の7文字で踏む、という意味の数(韻の文字数)。
そして、「こんどうはるな」と「おんこうなぶた」の2回だけ韻を踏むのではなく、さらに「根性あるな」「ほんとグダグダ」を追加して4回にする、という意味の数(韻の回数)。
この韻の文字数と、韻の回数という二つの意味での数を増やしながら、メッセージ性を保つことも重要。「アルミ缶の上にあるミカン」は、別にミカンがアルミ缶の上に置いてあったところで別に誰も嬉しくも悲しくもないけど、「近藤春菜、温厚な豚」はdisとして成立している。
これが、韻とダジャレの基本的な違い。
で、韻問題はどうなのか
韻問題について書こうと思ったのに、韻とダジャレの違いについて書いてしまった。でも実は、このダジャレとの違いをこれだけ説明しないといけないことこそが、韻問題の核心のような気もしている。
ラップで韻を踏むべきかどうかについて、僕の考えは、そりゃ踏んだほういいと思う。だって踏んだほうが聞いてて気持ちいいもん。でもそれは、韻を踏もうとするがあまり、本来言いたいメッセージから逸れてしまうということがない、という前提での話。
韻問題は、「メッセージ性を犠牲にしてまで踏んだほうがいいか」が論点なのであって、同じメッセージ性を保てるのであれば、そりゃ踏まないより踏んだほうがいいに決まってる。たとえば「あのとき俺は高校生」って歌詞があったとして、そのあと「そして東京に出てきた」って言いたいとする。このとき「東京に」は「東京へ」とまったく同じ意味だから、それなら「高校生」と韻を踏んでいる「東京へ」ほうを選んで「そして出てきた東京へ」にしたほうがいい。
ここまでは、誰もが「絶対踏んだほうがいい」と思う部分で、韻問題の範囲外な気がする。問題はこのあと、この韻にしばられて、言いたくもない言葉を並べ出したり、逆に言いたいことが言えなくなってしまったりすることなんだと思う。
日本人の韻リテラシー
韻を踏むと伝えたいメッセージから少しずれてしまうような場合、どうするかの判断は、「頑張って母音を合わせたことを評価してくれる人がどれだけいるか」に完全に依存する。これが、まさに僕が「韻リテラシー」と呼んでるもので、m.c.A•TがDA PUMPに韻を踏ませなくて正解だったのも、国民の韻リテラシーが追いついてなかったからだと思う。
当時と比べて、今、国民の韻リテラシーが上がったかというと、たいして上がってないと思う。だから現状では、韻を踏まなくてもそれで言いたいことがちゃんと言えるなら、それでいいと思う。
ただ、韻を踏まないんだったら絶対に、ちゃんと言いたいことを言え、とは思う。中途半端な韻みたいな韻じゃないやつを残して、そのせいで言いたいこと言えてないのは最悪だ。言いたいことも言えないし、踏みたい韻も踏めないこんな世の中は、まじで、ポイズンだ。
まとめ
途中で「言いたいことが言えない」って話になってからは、ただポイズンって言いたいだけになってしまって申し訳ない。でも、ポイズンって言いたいのにそれを言えないこんな世の中じゃそれこそがポイズンだから、言ったし、後悔もしてない。
Twitterやってます。
小沢健二は韻を踏む天才
小沢健二が活動再開。嬉しすぎる。
僕は小沢健二が好きすぎる
まず大前提として、僕がオザケンが好きすぎる。
小沢健二の良さがわかるはずもない小学2年生の僕らに小沢健二の歌詞の深さを熱弁してきた当時の担任の先生と、今、語り合いたい。
— 細川貴英 #声に出して踏みたい韻 (@takahide_h) 2016, 1月 8
好きな要素を挙げ始めたらきりがない。韻以外の要素も好きだ。でもこれは韻についてのブログだから、ここでは韻という観点からのみ、オザケンの曲が心地良い理由を書きたい。
リズムに合わせて韻を踏む天才
ラッパー以外の日本人で、かつみんな知ってるような人で、韻という観点から天才だと思うのは、ミスチルの桜井さんと、オザケンの二人。異論は認めるけどこれを読んでからにしてほしい。
「強い気持ち・強い愛」という曲がある。数年前にでんぱ組がカバーしたことでも話題になった。(この曲は作曲は小沢健二ではないんだけど、作詞は小沢健二)
Stand up, ダンスをしたいのは誰?
というフレーズを4回繰り返すことから、この曲は始まる。サビの盛り上がりもいいんだけど、この部分のほうが印象に残ると言っても過言ではないと思う。
なぜこの言葉が、こんなに心地良いのか。ひらがなにしてみると、よくわかる。
すたんだっ、だんすをしたいのはだれ?
この部分は軽やかな四つ打ちのリズムが印象的だけど、ドラムが「たんたんっ、たーん、たーん、たん」という感じで打たれるのに合わせて実は、
すたんだっ、だんすをしたいのはだれ?
と、「た」or「だ」の文字が来るようになっている。
もう一度言います。軽やかなドラムの音「たんたんっ、たーん、たーん、たん」にかぶせて、「(す)た(ん)だっ、だーん(すをし)た(いのは)だ(れ)」。
ルーツはやっぱり英詞?
オザケンが「よし、こことここで母音を合わせて」っていちいち考えながら作っているかというと、たぶんそんなことはなくて聞こえがいいように作った結果たまたま母音が合ったんだろう
......とか言いたくなるところだけど、オザケンに関して言えば正直すごく意識しながら作り込んでると思う。「よし、こことここで母音を合わせて」っていちいち考えてると思う。
東大の文学部を卒業してるってのももちろんあるけど、フリッパーズギター時代から英語の曲もたくさん出してきて、やっぱり英語の歌では基本だけど当たり前のように韻は踏んできた。百戦錬磨。
フリッパーズギター時代の「THE CHIME WILL RING / やがて鐘は鳴る」の一節。
Flow my tears for my dignity
Say three cheers for nobility
Though we're all awake
It's only a grapefruite cake
Just the same
色を付けた単語が、同じ色同士で韻を踏んでいる。英語の歌で韻を踏むのは自然なこと。ただここまで徹底してやってるのは珍しい。
詳しくはこないだ書いたこの記事を読んでほしい。
名曲だって負けてはいない
この韻の踏み様は、その後の全盛期にも変わらない。誰もが知る名曲「ラブリー」の出だしは、
夢で見た彼女と会って FEEL ALRIGHT
誰かのちょっと待ってなんて知らない
ここまで読んで、はいはい、どうせ「ALRIGHT」と「知らない」の韻を解説するんでしょ?と思うかもしれないけど、違います。
もう少し注意深く見ると、
夢で見た彼女と会って FEEL ALRIGHT
誰かのちょっと待ってなんて知らない
というふうに、「かのじょとあって」と「かのちょっとまって」が韻を踏んでいる。(この二つのメロディーをずらしたのはなぜなのか本人に聞いてみたい)
数え始めたらきりがないオザケンの韻
もちろんさっきの「FEEL ALRIGHT」と「知らない」も踏んでいる。そしてこの曲は、この調子で各文の最後の母音が面白いように合ったまま最後までいく。
LIFE IS A SHOWTIME すぐに分かるのさ
君と僕とは 恋に落ちなくちゃ
細かいけどこんな感じ。これが偶然じゃくて意識的なものだということは、同じ部分の二番の歌詞も同じ場所で韻を踏んでいることで証明できる。
LIFE IS A SHOWTIME ベルが鳴るような
こんなスリルが 僕らを刺すのさ
こういったあたりも意識しながら最後まであらためて聴いてもらいたい。
他にも解説したい曲がいっぱいあるけどそれはまたそのうち。本当にたくさんある。
むしろ、曲中にラップが入ってる「今夜はブギーバック」が一番踏んでないんじゃないかってレベル。いやそれはさすがに言いすぎか。
まとめ
というわけで、小沢健二のこれからに期待が高まるばかり。
Twitterやってます。